あとがき

今記事は前記事自分を否定され続けてきた女性が体験を通して見えてきたものを読んだ方向けのものとなっております。

前回掲載したレビューは反響がかなりあり、このように同じような気持ちを持っていた方からの共感や涙が出たなどの感想を多くいただきました。
感想1感想2


過去の経験や漠然とした不安によって生きるのが苦しかったりする中でも、それを乗り越えてきたり今まさにその最中である人、様々な人がいてみんな同じようで全然違うということをイチも再認識できました。

今回は前記事の引用をしつつそれに対して考えを書いていくという形式にします。
あまりに情報量が多くなってしまっては大変になるので、長くなりそうな部分は今後少しずつ記事にしてリンクを載せるという形にするつもりです。

・読み方ですが、「引用→イチの考え」という形式で進めていきます。

「私は無視をし続けられ、ただひたすら無言で後をついていく夢。劣等感と寂しさ、絶望、そして何故か安心感を覚えていた。
恐怖で目が覚めたら、いちさんはどうした?って優しく声を掛けてくれる。
理由も言えずに首を横に振り、でも夢とのギャップに混乱しつつ、抱きしめられた腕の中でまた眠りについて
とても複雑な感情でした。
きっと長年求めてた欲求が満たされる事、幸せを感じる事にとてつもない不安が押し寄せていたのかも知れません。
絶望的な感情を持つ自分に慣れてしまっていていたからの拒絶反応。」

これは環境や交際相手によって自分の日常がマイナスになり、いつの間にかその状態が当たり前になってしまっていた女性に起こりやすいことです。
例:幸せすぎて怖いetc..

心の環境が今までの自分よりもプラスになり、それに慣れてきたことによって元のマイナス位置に落下してしまうという恐怖の感情です。
プラスからマイナスに落ちるのはマイナスからマイナスよりも落差があるので心が負う痛みが強くなってしまう。

だからそうなることを恐れて、満たされたり幸せに感じないようにして自分が痛みを感じるリスクを減らすということをしてしまいがちな女性が多くいました。

これに関しては今後記事にしていきます。
「そんな事からごく自然に、自らマニュアルを作って、その通りのマニュアル人間になってしまいました。人間観察をしまくって、何が正解かを決めつけ、正解を探りながらその通り過ごす。
その場はやり過ごせても、そこに感情はありませんでした。人間に必要な決定的な何かが欠けている感覚。」

「自分をころすのは良くない」という言葉をよく見かけます。

僕も良くないと思う派です。
ただし、良くないけど悪いことではないと思っています。

なぜならそうしなければ生きていけなかったから、そうせざるを得なかったという女性達を知っているからです。

「〜すればよかったんじゃないの?」

と言うのは簡単です。

でもそれってその当時のその人の状態と環境じゃできなかったことだし、そこに目を向ける余裕や知識がなかったからしなかったことなんです。

だからイチは「こうすればよかった」とか「なんで〜しなかったんだ」とかは言わないし言おうとも思いません。

それをしていいのは過去にタイムワープできて直接手を差し伸べることができる人だけだと思っています。
ただ、その代わりに「次は」「これからは」といった未来へのアプローチをしています。

「話への苦手意識と、過去の失敗による恐怖とで、要するに不安の塊と化し、負の感情の悪循環に陥っていました。

欲を話した時、皆が注目してて、狂いそうだったのと同時に抑圧から開放された感じが一気に広がって、それを誰も否定しない。むしろにこやかに受け入れている。興味の目で沢山の質問をしてくる。そんな状況に混乱しつつ、味わった事のない初めての嬉しさが込み上げてきて 笑
素直な感覚が、幼い頃以来の自分が自分である感覚が戻ってきた感じがありました。」

人は経験から学習するので、連続して悪いものを経験するとそのことが自分にとって悪い結果になるものと思ってしまいがちです。

でもこれは相手や環境によって変わるものなので、悪いものにならない結果を経験することができれば「良い」が起こりうる可能性を知ることができるし、自分が知らなかった(忘れていた)その良さを思い出すことができることがあります。
例:5連続で失敗→しても失敗しかない… 6回目で成功→成功できるかもしれないからまたやってみようかな

しかし、自分がしようとすることに対して失敗になりやすい相手や環境にいると中々抜け出せなかったりもします。

これに関しては枠の話というタイトルで後日記事とします。
自分を諦めちゃってる人に知ってもらいたい『枠の話』

「世間体や他人からの目線を気にするあまり自分を制して作り上げた自分、もし皆が皆そうだったら一律化してしまった世界は全く面白味がないし、生き甲斐も感じないだろうと思うということ。
表面的な気遣いは相手に対しての本質的な優しさでもなく、自分に対しての偽りにもなり、意味をあまりなさない。
その労力は自分を高める為の努力に使った方がいい。その努力がいずれ相手に生産性を与える時が来るかもしれないからその時のために自分を高めるべきであるということ。
意思を持って一歩踏み出してみる。
現状に留まる自分を、時間をかけてもいつか好きになる日がくるか?と考えてみれば答えはnoだということ。
自分という人間を素直に出せば出すほど人間的面白味が出てくる。し、そんな人を私もきっと望んでる。それがたとえ途中経過だとしても、いつでも自分が自分であるということには変わりなく、その場面での自分を素直に出して相手にも経過途中の自分を楽しんでもらっちゃえばいいということ。
自己承認が出来なくても、他人の様々な解釈で自分の知り得る事がなかった化学変化をおこしてくれる人が世の中にはいるってこと。
瞬間瞬間で変化していく自分を意識して楽しんでみる。
崖から転げ落ちる自分も。
登り続けるだけじゃ面白くない。
俯瞰的に自分を見つめる事と、自分の素直な感情を知る
事の両立が大切ってこと。
そんな多種多様な素晴らしい世界に私は存在してるってこと。世界は上手くできてるなぁと。
そして本当の私は綺麗ではない。もっと汚い。
でもそれが私で、それでいい。」

読んでほしいので引用という形で取り上げましたが、ここはもう言いたいことを彼女が書いてくれています。

「綺麗であり汚くもあり、その全部を含んだ色をしているのがあなた」

というのがイチの見方です。
「動く意思もないゴミ山の中のロボットに手を差し伸べようと思わないのは当たり前だと思った。」

まず、意思を示さなければ目に止まらない。

次に、目に止まったとしてもイチに手を差し伸べられたいのかが分からない。

そして、意思を示してきたので手を差し伸べたとしても掴むところがなければ触れない。

彼女が意思を示して手を伸ばしたからこそ、手を差し伸べて掴むことができたのです。


だから依頼してきた子に感謝などを言われた時は毎回、それは○○が依頼してきたから手に入った感情だよと言っています。
「いちさんは簡単には褒めたりしないし、無責任な事は言わない。その感情や、考えを持つその人自身に目を向けて、否定ではなく、どうしてその感情が湧き上がっているのか、その過程に何があったのか、一緒に考える事を手伝ってくれる。」

個人的に1番嬉しかった部分。

簡単に褒めたりその場限りのことを言っていい気分にさせるというのは、このブログじゃなくてもできることなのでほとんどしません。

イチがしていることは相手が思うその感情の背景を一緒に考えていくことです。

これに関しては後日記事にします。



以上で、前記事へのイチの考え方を締めさせていただきます。

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