「甘えられない」女性が抱える心の抑圧とその解放について

甘えたいけど甘えられない、そんなあなたに質問があります。
「泣きたい…」
「くっつきたい…」
「頼りたい…」
「本当の自分は弱いんだけどな…」

こういったことを思ったことはないでしょうか?

そしてそう思った時に、
「泣いたらめんどくさいと思われる…」
「くっつきたいけどうざがられるだろうな…」
「頼って手間をかけさせたら嫌われてしまう…」
「私の本心を知ったらきっと離れていくだろうな…」
etc...
こんなことを考えてやめたことはないでしょうか?

もしあるのならあなたは心を抑圧してしまっているかもしれません。

今回は様々な女性と会って話してきた中で多かった心の抑圧とその原因、そして抑圧を解放できた時にどうなるかについて書いていきます。

心の抑圧

【心の抑圧とは何か】

心の抑圧とは心に壁を作って感情を抑えてる状態です。
簡単に言うなら自分に対して、「〜するべきじゃない」や「私らしくない」や「こうでなきゃいけない」などと思うことが多いこと。
上に挙げたものって「◯◯なんだけど」の後に続く言葉なので◯◯の部分を抑えてる。

つまりルールや目の前にいる相手に言われたわけではないのに自分の感情や行動を抑えてしまうことです。

他人と関わらなければならない生活を送る上で感情や行動を抑えることはある程度は必要ですが、しなくてもいい状況でも抑えてしまっている状態を指します。
そして、不安だったり自分の悪い部分を見ないようにするための壁でもあります。



【心の抑圧の原因】

心を抑圧するようになった原因は人によって様々なものがあります。
  • 幼年期に親からの愛情がなかった
  • 長女であった
  • しっかりしなければいけなかった
  • いい子でいなきゃと思ってきた
  • 愛情の押し付け
  • 周囲からのイメージ
  • 出来事による傷
  • タブー視される自分

・子供の頃に親からの愛情がなかった

子供に関心のない親であったり、何らかの家庭問題がある環境で育ったことによって人に甘えるということが何か分からない。

・長女であった

甘えたかったり弱音を吐こうとしても、下に兄弟がいることで親から「お姉ちゃんなんだから」と言われて受け入れられなかった。

・家庭の事情でしっかりしなければならなかった

金銭や環境による事情により苦しい家庭環境だった場合、自分がしっかりしなきゃと思って甘える行動をしないできた。

・いい子でいなきゃと思ってきた

親を喜ばせたり悲しませないようにという気持ちから、自分を抑えて親の思ういい子でいなきゃいけないとなっていった。
いつしかいい子でいることが親から当たり前に思われていき、いい子な自分として接せられることにもストレスを感じるようになる。

・愛情という名の決めつけの押し付け

「あなたのためだから」という言葉と共に自分が望んでないことを押し付けられるが、自分のことを思ってしてくれてるので嫌でも本音を抑えて受け入れることが当たり前になってしまう。

・周囲からのイメージの維持

そう思われてる自分を変えることが期待を裏切ってしまうのではという不安になったり、そう思われてる自分でなければ離れていってしまうという不安により出せなくなる。

・出来事による傷

心に大きな衝撃を与える出来事が起き、それによる傷から自分を守るために外側の自分を作り出す。

・タブー視される自分

本当の自分は汚い・ゴミ・変態などと思っているが、世間的に許されることではないし相手に引かれてしまうから出すわけにはいかないと思っている。


出来事による傷以外は大抵子供の頃の経験の影響が強い。
子供というのは心と行動が直結してるからすぐに笑うし泣くし怒るが、それは心の壁がまだないから。
だからこそ心にダメージを負う経験をした際に壁がないので強く影響がでてしまう。
そして許容量も少ないのでその頃に感じた心の8割が痛んだ経験というのは成長しても自分がこれをしたら心の8割が痛んでしまうと思ってしまう。



【抑圧による悩み】

抑圧を抱え続けることで人によって様々な悩みを持つことがある。
一例として下記のようなものがあります。


・我慢をして平気なフリをして心を削っていく
嫌なことがあったとしても相手を不快にさせてしまうや事を大きくしちゃいけないから自分が我慢しなければならないと平気なフリをする。
「我慢するのには慣れてますから」という言葉を多く聞いてきたが、ほとんどの女性は我慢することに慣れてるだけであって嫌なことで受ける痛みが減っているわけではなかった。

・心と自分のバランスがとれず不安定になる
口から発したり行動するというのは表面になるので思ってないことをし続けたり言い続けたりすると、心と自分のバランスがとれなくなる。
バランスがとれない状態が長く続くことで気づかないうちに自分疲れが溜まっていってしまう。

・自分がしたいことが何か分からなくなっていく
成長過程や経験により出てきた自分が思う自分と、周りからの言葉や環境でできた外の自分。
その違いがストレスになり、常に心から体が千切れそうになっている。
でも外の自分でいなければ価値はないや嫌われる、人と触れ合うことができないと思っているから出せないまま過ごしていく。
そして千切れそうになっている状態が続くと痛みから自分を守るために無意識に心を麻痺させていき、いつのまにか自分がどうしたいのか分からなくなってしまう。

・孤独感や愛情を求めるなどの飢え
過剰に壁を作りすぎて自分も出られなくなってる。
密閉された空間で空気も少ないし汚れてるし、外に出ることができないから食べ物もなくなって飢えていく。
とりあえず誰かに抱かれることで安心感を得ようとするという行為も心の抑圧によって生じた寂しさや愛情不足を簡単に補おうとすること。
だけど壁があるため届くことはなく、漏れ出した感情を一時的に解消するだけなので発生源の解消には至らない。


抑圧を続けていくことでもっとも恐ろしいのは、自分の心を抑圧することが当たり前になってしまうことである。
抑圧をしてることによって生きにくさを抱えているにも関わらず、当たり前なことなのでその理由に気がつけなくなっている。
そして気がつかなくとも抑圧による心の負担は溜まっていってしまう。


このような抑圧によって溜まった負担を解消するためには、その抑圧から解放をするか別のことで発散する必要がありますが、別のことで発散したとしても抑圧は残るためし続けなければならないので抑圧からの解放をおこなう方が望ましいです。
そのため次に抑圧からの解放について説明していきます。


【抑圧からの解放】

抑圧からの解放とは、抑圧をしていない自分を受け入れること。
「〜でいなきゃいけない」
「この人(この場)にはこうでなきゃいけない」
などの外側の自分を取り去って内側にある自分の感情を出せるようになること。
見ないようにしてきた不安だったり自分にとって悪いと思ってきた部分をそれも自分だと受け入れることです。


解放するには

解放するためには自分が抑圧してることを知った上で出すか、出してから抑圧してたことを知る。
それによって自分を抑えずに出せた時の気持ちを体感すること。

自分を出せた気持ちを体感するには解放していく流れと解放したあとから気づく流れがあります。

・解放していく流れ
抑圧と向き合いながら一つ一つ出していくことです。
自分1人で考えるのもいいですが、誰かと話し合いながらおこなっていくことで自分では気づかなかったことが見つかる可能性があります。

■自分が抑えてしまっていることを自覚すること 当たり前のように繰り返してきてることだから慣れて気づかなくなってるかもしれない自分がマイナス感情を持つのにしてることや思うことを見つけていく。
そしてそのマイナス感情はなんだったかを自覚すること。
したくないのにしていたとか、したいのにしちゃいけないとしなかったとか、こうだ!と思ってるけどそれによって自分の息が詰まってるなど。

■マイナス感情を持つ行動に対して自分がどうしたいかをちゃんと知ること ずっとこうだったからみたいな当たり前になっていることって自分がどう思うか考えなかったりするから改めて考えてみる。
それ以外にも、抑圧を自覚してるのに他の人と比べたら自分なんてまだマシな方なんだから我慢すればいいと思っていることもまた抑圧。
他人がどうだからではなく、自分がそのことに対してどう思ってるのかをちゃんと知ること。

■自分が抑圧しなくてもいい(と思える)場で自分を出すこと。 抑圧の内容によっては傷つくのを防ぐためであったり他人に見せたことのないものがある。
これにより抑えずに出したことを受け止められないのではないかという不安から出しにくくなる。
なのでその不安が少なく大丈夫と思える相手や、不安以上に出したい気持ちが強い相手で出す。

ただし、受け止められなかったとしても抑え続けてた自分よりもいいとなる場合もあるので一概には言えない。

場というのは元々あるものだけでなく、自分で作り出すこともできる。
あなたがイヤにも関わらずこうでなきゃいけないと思ってやっている抑圧された行動や言動も、それを知らない人からしたらあなたにとって普通だからやっていると思ってる可能性があります。
なのでそのことを伝えることで抑圧しないでもよくなる場合がある。
これにより抑圧しなくてもいい場になる可能性があります。


・解放したあとに気づく流れ
何かの理由で抑圧を意識せずに解放をして、そのことによって自分が抑圧していたことを知ること。
自分からというよりは場(相手)の行動から行われることが多いです。
■後になって気づく「なんであの人(場)ではこうだったんだろう?」

「あ、〜してた(してない)からだ!」

「ということは私は~した(したくな)かったんだな」

「今度からはする(しない)ようにしよう!」
このように解放できていたことに気づいてから抑圧に気づいていく。


【解放の結果】

抑圧からの解放とは抑圧していない自分を受け入れることと書きましたが、そうすることでどうなるか。

■義務が選択に変わる
1番大きな変化は自分にとって絶対にそうしなきゃいけないやしてはいけないという強制的な義務だったものが、こうしようやしないようにしようと選択するに変わることです。

自分の中で100%の確率でダメと思っていることが体感することで100%ではなくなる。
これは嫌だけど”絶対”にと思い込んでいたことが絶対じゃなくなり、可能性という余裕が生まれることになります。

抑圧してる自分しか知らなければそれが100%の絶対ですが、解放した自分を知ることで絶対と思ってきたことが変わる。
そして抑圧していない自分の状態が自分にとって好ましいものであったのなら抑圧したままでいるか解放するかの選択肢が自分の中に生まれることになるからです。

選択して決めたことというのはする(しない)理由が自分にあるから状況に応じて自分で変えることができるんですよね。
絶対にと思ってることだと自分がどんな感情を持ってようが変えれると思えませんから。


■不安だったものが場によっては安心して出せるようになる
抑圧をしなくていい解放できる場では、弱いところや自分が思ってる性格などの不安で出せない部分を安心して出してもいいとなります。

不安から安心になるというのはあるものがなくなるんじゃなくて見え方が変わるということです。

悪いものと思って全力で必死にしまっていたものが自分にとって悪いじゃなくなると、しまうではなく相手によって見せるか見せないだけのものになります。
それによって全力で必死にしまうために集中してずっと使ってた力を使う必要がなくなります。


・絶対的な義務から選択への様子(イラスト提供:フォロワーさん)
「絶対に出しちゃいけないから全力で必死にしまっている」
絶対に出しちゃいけないから全力で必死にしまっている

「絶対から選択できるように」
絶対から選択できるように

「選択したものを出していく」
自分で出すか出さないかを選択できるように


こうして今まで出せなかった自分を解放することができた時に、
頭がクリアになる
息苦しさがなくなる
景色が明るく見える
などの変化を実感することがあります。

僕なりの表現になりますがこれは、
「出すことなく奥にずっとしまってたことでホコリまみれになってた自分の心を出したから」
と考えています。

ホコリまみれの心が表に出たことで綺麗にでき、ホコリを通さないから息苦しくないし、ホコリ越しじゃないから景色がよく見えるようになる。

心というのは目に見えないものだからこそどうしたらいいか分からないことばかりですが、見えるとしたらこうなんじゃないかなと僕は思います。


※補足
誰かに対して100解放できたからといって他の人や物事すべてに対して100解放する必要はない。
大事なのは抑圧していない時の自分を知ること。
それが分かったら自分にとって出すのと出さないののどっちがいいかという判断ができるようになる。
自分を解放して良いと感じる相手もいれば良くないと感じる相手もいる。
同じように、自分を抑圧してることで良いと感じる相手もいれば良くないと感じる相手もいる。
大事なのは自分にとってどっちがいいかを自分で決めることです。



【贈る言葉】

自分の基準と相手の基準は違うんだよ
自分がわがままと思ってることやしちゃいけないと思ってることは相手にとって嬉しいことやして欲しいことの可能性もある

この人にとってベストな自分であって、自分にとってベストな自分でいない。

異常というのは他と比べた時に出るものであって、異常な自分というのはそのままの自分である。

他人と比較して自分なんかじゃと思いがちなら「みにくいアヒルの子」を思い出してほしい。
人によって考え方の基準は違うし生きる土俵も違う。
絶対にそうしなきゃいけないわけじゃないのにそうしなきゃいけないと思って生きづらくなってるのは、自分がアヒルだと思っていた頃のみにくいアヒルの子と同じなんじゃないかな。


【最後に】

今回のこの記事は5000文字以上の文字で作られてます。
ですが、抑圧を抱えて読んだ人に思えるようになってもらいたいことはたったの4文字です。

それは、「いいんだ」ということです。

最初に心の抑圧とは心に壁を作った状態といいましたが、言い換えると心に自分の手でフタをしてる状態です。
どんなことを理由に自分の手でフタをするようになったかは人によって異なるけど、自分の意思でその場所を抑えています。

何らかの原因で傷つかないためだったり、怖かったり、不安だから抑えている。
ただ、ずっと心を抑圧して生きてるのは苦しいんじゃないかなとも思います。

それと、心を抑圧してる今の自分を責めるのはやめてほしいです。
子供の頃やトラウマとなることが起きた頃というのは自分の心を抑えなければ生きていけなかった。
そうせざるを得なかったから抑えるようになった。

そして抑えなければと無意識に必死になっていたうちに自分にとっての当たり前になってた。

つまりその頃の自分ではどうしようもなかったことなんだよね。

だから少なくとも僕は悪いことだとは思いません。


当たり前のことを変えるのって慣れてる自分じゃなくなるってことだから落ち着かなさや違和感があるかもしれない。
ずっときつい服を着てきた人がゆったりした服を着ようとするようなものだから。

思いきってゆったりした服を着てみたらしっくりくるかもしれないし、その服似合うねと言ってくれる人もいるんじゃないかな。

でも、着てみなきゃどうなるかというのは分かりません。

抑圧を解放するのも同じで、抑圧してる自分しか知らなければ解放した時の気持ちも他の人がどう思うかも分からないんだよね。

分からないことをするのって不安だと思います。
それでも今が苦しくて変わりたいのであれば意識してみようとするのもいいかもしれませんよ。

もしもそれで「いいんだ」と思うことができるようになったのなら僕も嬉しく思います。




さて、この記事では心の抑圧とその解放について書いていきました。
元々は体験でおこなっている性的解放について書いていく予定だったのですが、性の悩みや願望の背景に心の抑圧があることが多くいつの間にか今回の記事になりました。
とはいえ性に関する活動をしているブログなので次回コラムでは性的解放について書いていこうと思います。

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