自分を否定され続けてきた女性が体験を通して見えてきたもの

今回は約7000字にわたる長文と体験女性の想いが詰まっている内容の感想です。

この感想は、
「自分を出せない、性行為でもっと気持ちよくなってみたい」
という理由で応募してきてから数回にわたって体験を続けてくれている女性からのもので、特に親との確執があった人は男女問わず強く影響があるかと思います。

時間がある時に腰を据えて読むことをオススメします。

【補足】
・以前投稿した【女性視点体験記事】絶対に認めたくなかったゴミのような自分とは別の女性からのレビューになります。

・文中で登場する猥談バーというのは性的なことをするのではなく、性癖などの猥談を明るく楽しく話すというイベントの名称です。詳しく知りたい方は検索していただくとすぐに見つかります。

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色々考えていたらなんとなく日記ブログ風になってしまったけど深い意味は特にないので気にしないでください 笑

最初の依頼の時、私はいちさんが私を大事に接してくれてるように、私もいちさんを大事にしたいという感情に気が付きました。性のみでなく、性を含めた心に問いかけてくる。でも、まだ違和感があって。
これが慣れないことへの違和感なのか?それとも根本的な疑問を含む違和感なのか。
2回目の体験で行為を終え、いちさんと眠りについた時、私は悪夢を見ました。いちさんとホテルを出た後、もう1人女の子が合流し、いちさんと女の子は楽しそうにお喋りしているけど、私は無視をし続けられ、ただひたすら無言で後をついていく夢。劣等感と寂しさ、絶望、そして何故か安心感を覚えていた。
恐怖で目が覚めたら、いちさんはどうした?って優しく声を掛けてくれる。
理由も言えずに首を横に振り、でも夢とのギャップに混乱しつつ、抱きしめられた腕の中でまた眠りについて
とても複雑な感情でした。
きっと長年求めてた欲求が満たされる事、幸せを感じる事にとてつもない不安が押し寄せていたのかも知れません。
絶望的な感情を持つ自分に慣れてしまっていていたからの拒絶反応。
そして、その夢の感覚は何度も出会った事のある感覚。
私は空気のような存在で、いても居なくても変わりのない空間が流れる毎日。マニュアル人間として動くだけで。
無視をされ、時には蔑まれた目で睨まれ、他人の私欲の為に道具として否定、利用される。
誰の目をみても私の全てを否定されていると感じる時もありました。人という存在がとても怖くて。というかその時はこの世の全てが恐怖に包まれてた。小さい頃から大切にしている人形も、野道に咲いてる花さえも、私を嘲笑ってる気がした。
小さい頃から、人と何かが根本的に違う。
周りの状況が分からない。
話したいという意志があっても言葉が出て来ない。
ちょっとした挨拶さえ私には凄く難しくて。
表情が、感情が、読み取れなくって。
周りの人がすっと分かることが理解出来ない。
分からない、共感出来ない事への恐怖と。
そんな事からごく自然に、自らマニュアルを作って、その通りのマニュアル人間になってしまいました。人間観察をしまくって、何が正解かを決めつけ、正解を探りながらその通り過ごす。
その場はやり過ごせても、そこに感情はありませんでした。人間に必要な決定的な何かが欠けている感覚。
それでもなお受け入れられない。親にも、周りにも。自分の感情は置き去りにし、他人の為にと良い解釈をし、誰かが求める事を積極的に、全て引き受けて。自分を苦しめて。それでも自分が他人の為に出来る何かがある事が嬉しくて。必要とされている事が嬉しくて。自分が音を立てて壊れていく感覚には目を向けず、でも他人が私を求めているのではなく、何かをしてくれる、その行為だけを求めていて、決して私自身を必要としてくれている訳では無い。だからいつまでも報われず、悶々とした毎日。帰宅して1人部屋で静かに泣きじゃくり、ご飯の時間になればケロッと笑顔を作って家族のお手伝いをして。時には身体を引っ掻いて、えぐって、傷つけて。衝動的で止めることすら出来ませんでした。そんな自分というどこか他人のような感覚の存在がこの世にいる事に恐怖を覚えてた。
親から、周りからの承認だけを求めて頑張り続ける毎日で。
小さい頃、母に1度だけ、
あなたが居るからお母さん凄く助かってるんだよ。って褒められた事。
父が1度だけ、ピンクのアロハシャツを着て授業参観に来てくれたこと。
それだけを頭の中で繰り返して。
でもそんな父母を尊敬していたし、2人には笑顔でいて欲しかった。それが私にとっての喜びだった。
私がいつも笑顔でいれば家族は自然と笑顔になれると勝手に思い込んで。だからどんなに辛い時も笑顔でいよう。
祖母のある事ない事、母の悪口も全て私が受け入れる。誰にも言わない。母の悪口は聞きたくないけど、それ以上に悲しい顔は見たくない。その頃の私は家族と学校という世界しか見えてなかった。
虐められて、涙が堪えられず駆け込むように部屋に帰宅した日も、消えたくてどうしようもない日も、それを軸に生きていた私は、影では自分を傷つけまくり家族の前では何故か笑顔が作れて
きっとそういう今になったら無意味な頑張りだけど、そんな自分がどこか好きだったんだと思います。
無意味な努力で自分が壊れていくとは知らずに。

いちさんと別れて、1日開けて、3回目の依頼としてまた会って。
でもそのたった一日が1週間くらいの長さに感じられた。
その1週間の様な長さの間、自分を見つめることで、
最終的に辿り着いたのは、殴られたい。追い詰められたいという欲求でした。
なんなら死ぬ直前くらいまで、限界越えても、精神的にも肉体的にも追い詰められたい。逃れられないくらい、心に刻みたい。
送る勇気が出ずに3時間迷い、やっとその日の内に私の欲求をいちさんに送りました。どきどきでした。
長文を、後で読むねと連絡が来て、次の日は猥談バーというイベントに行く約束で、再びいちさんと再開しました。
暑い日が輝る上野で、麦わら帽子のいちさんと出会い、でもその日の私は全く余裕がなくて。
大人数がいる場、はじめてのところ、私が苦手なコミュニケーションをフル活用しなきゃ行けない場…
正直とてつもない恐怖でした。何せ20歳になってからというものの飲みの場さえあまり経験がない。
昨日からご飯もまともに喉を通らないし、
何よりいちさんに恥をかかせないかととても心配でした。
それでもいちさんは私の世界を広げるため、と連れて行ってくれて。そんな場にいく意思はあってもどうしても勇気はなかった私にとってはとても嬉しい出来事でした。
会話への苦手意識と、過去の失敗による恐怖とで、要するに不安の塊と化し、負の感情の悪循環に陥っていました。
始まる2時間前にカフェでお話して、私の緊張度合いをみてお店に行く前にハブで1杯のお酒を飲んで、
そんな気遣いをしてくれるいちさんに安心感を抱いて。
フワフワした感覚で、何とかほんの少しだけ、緊張が薄れてきました。手を繋いでくれて、だいぶ迷いながら辿り着いたお店。もうかなり席は埋まっていて、何故か上裸でジョロキアを乳首に塗って騒ぎまくってる人がいて 笑
更に緊張が高まりました
席に着いてからもソワソワが収まらず、隣でたばこを吸いながら、何度も大丈夫かと聞いてくれるいちさんに導かれながら、でも完全なる場違いな雰囲気を私は自分自身で勝手に発してたと思います。緊張で会話も続かず、その都度いちさんが私のコミュニティを作ってくれて。大丈夫かと確かめながら店内が熱気で溢れかえって来たとき、ようやっと私は少しずつ楽しめる様になってきて。それはいちさんという絶対的な安心感が傍にいたからであってそうでなければ私は早々に挫折をし、退散してたと思います。まだその時は自分でも理解出来ない欲だったけど、はじめて殴られたいという欲を話した時、皆が注目してて、狂いそうだったのと同時に抑圧から開放された感じが一気に広がって、それを誰も否定しない。むしろにこやかに受け入れている。興味の目で沢山の質問をしてくる。そんな状況に混乱しつつ、味わった事のない初めての嬉しさが込み上げてきて 笑
素直な感覚が、幼い頃以来の自分が自分である感覚が戻ってきた感じがありました。それから色んな人の新鮮な話を沢山聞いて、よく分からない写真に映り込んで、話してた女性にハグしていい?と聞かれてから抱きつかれたり、とてもカオスな状況だったけれども  自分自身も話し掛ける勇気を出してみたり、少しずつ踏み出してみて、自分を解放してって、確実に世界が広がり、私にとって転機と言えるくらいとても大切な経験でした。
そんなこんなで猥談バーで学んだ事は沢山あります。
世間体や他人からの目線を気にするあまり自分を制して作り上げた自分、もし皆が皆そうだったら一律化してしまった世界は全く面白味がないし、生き甲斐も感じないだろうと思うということ。
表面的な気遣いは相手に対しての本質的な優しさでもなく、自分に対しての偽りにもなり、意味をあまりなさない。
その労力は自分を高める為の努力に使った方がいい。その努力がいずれ相手に生産性を与える時が来るかもしれないからその時のために自分を高めるべきであるということ。
意思を持って一歩踏み出してみる。
現状に留まる自分を、時間をかけてもいつか好きになる日がくるか?と考えてみれば答えはnoだということ。
自分という人間を素直に出せば出すほど人間的面白味が出てくる。し、そんな人を私もきっと望んでる。それがたとえ途中経過だとしても、いつでも自分が自分であるということには変わりなく、その場面での自分を素直に出して相手にも経過途中の自分を楽しんでもらっちゃえばいいということ。
自己承認が出来なくても、他人の様々な解釈で自分の知り得る事がなかった化学変化をおこしてくれる人が世の中にはいるってこと。
瞬間瞬間で変化していく自分を意識して楽しんでみる。
崖から転げ落ちる自分も。
登り続けるだけじゃ面白くない。
俯瞰的に自分を見つめる事と、自分の素直な感情を知る
事の両立が大切ってこと。
そんな多種多様な素晴らしい世界に私は存在してるってこと。世界は上手くできてるなぁと。
そして本当の私は綺麗ではない。もっと汚い。
でもそれが私で、それでいい。

以前からそんな考えが潜在しながらも、私はそれに素直になれませんでした。
お前にいい所があったら知りたいとか、弟がちゃんと育たなかったら手本を見せなかったお前の責任だとか、お前が優しいとか頭くるってる、とか、そんないつも数々のレパートリーを全力投球してくる、親からのお言葉や、他人との比較の言葉が毎日、毎時間降り注いできて、私にはそれが死ぬほど痛くて。跳ね返せなかった私はすっかりゴミのように転がって、動かなかった。立ち上がろうとしては倒れてを繰り返しすぎて、もう立ち上がる気力さえも、立ち上がる方法さえも、忘れかけてたし、何も無い無気力な壁を何時間も見続ける事が日課となっていた。
変わろうとしなかったし、もしかしたら変わりたくなかったのかもしれない。
そんな状態でありのままを愛してほしいとか思ってた。
でも、動く意思もないゴミ山の中のロボットに手を差し伸べようと思わないのは当たり前だと思った。
動かす気力もなかったけど、きっとそこにも気力がない所まで追い詰められている自分、と思い込み、決めつけ、言い訳をしていた甘い自分がいた。
無条件に手を差し伸べて欲しいとか思ってて途中からは
単なる我儘と化していた。
でも、もう一度、素直になりたい。いちさんと出会って自分を大切に出来る、その為に努力できる人間でありたいと思うまで回復したことは本当に大きな進歩。
そんな事を感じて、一回りもふた周りも大きくなった感覚の自分がいた。
自分の欲求を話したら、お尻を叩きたがった人がいたけど、何にも興奮しなかった。むしろ嫌悪感さえ抱いた。考えてみれば親から殴られたりする時だって、感じる感情は憎しみ、悔しさ、やるせなさ、沢出てくるけど、そこには負の感情しかない。裏を返せば認めたくない欲求でもあると思う。
そこにはいちさんだから。という事が含まれていると気がついた。いちさんと1度お店を出てファミレスで休憩し、ファミレスから出る直前不意にキスをされた時、崩れ落ちそうな快感が走った。求めてるのはその行為ではなく、自分がしたい人とする、その行為であると確信しました。お店をでて、皆にお別れを告げ、静かな夜の帰り道、半分こして歩きながら食べたアイスがとても愛おしかった。東京で初めて乗ったタクシーも、お互い靴ずれがある足も、嬉しかった。ホテルに入って汗のかいたいちさんの身体を舐めることにはもうなんの抵抗感もなくて、気がついたらいちさんのをフェラしてて、顔を動かされていた。それを喜んでいた自分がいた。私の欲求通りビンタされ、叩かれ、その時の瞳に潜む私の奥の奥まで見つめえぐってくような視線で狂う自分がいた。
痛さがものすごい快感になっていて、次々に振ってくる痛みが嬉しすぎて、頭の中ではもっともっとって求めてて、物足りないくらいだとか思ってしまってる自分に驚いた。
素直に快感を求められている事が嬉しくて、その時間が幸せで。
本能のままにいちさんの身体を求めて、気がついたらいちさんいちさんと言い続けていた。
いちさんの存在は私の中でいつの間にかとても大きくなっていて、初めて体感する大きな幸せに満ちていた。
幸福感という感覚ってこれかな?って。
すごい気持ちいいぞって言ういちさんにさらに興奮して、知らぬ間に表情が緩んでて、すかさずそれも指摘してくる。
どんな人で、どんな関係であろうと、今後もないと思っていた幸せさが溢れていて、どうしても我慢ができなかった。
自分に偽らず、感情に素直に向き合えている事が本当に本当に、嬉しかった。
自分が自分であっていい。心から強くそう思えた。

自分の考え自体を否定されてきた事によって、私の考えは間違っている、おかしいんだと自分を素直に伝えるという考えさえ私の中からは消えていたし、正解を探して、自分を偽り続けていました。正解を探しながら、探り探りコミュニケーションをとっていく自分への強い嫌悪感も。
いちさんは簡単には褒めたりしないし、無責任な事は言わない。その感情や、考えを持つその人自身に目を向けて、否定ではなく、どうしてその感情が湧き上がっているのか、その過程に何があったのか、一緒に考える事を手伝ってくれる。だからこその信頼感があって、まだ私自身正直いちさんと一緒にいる時に本当に私の考えている事を伝える事までは出来ないし、油断すると考えを偽ってしまうこともたまにある。考えがまとまらないってこともあるけど、恐怖心の方が勝って身体自体がそれを拒否してしまう。それでも文章であっても「今の自分」の素直な感情を伝えられるっていうことは私にとって大きな成長だと思います。

全て満たされて、何だかフワフワしてて、いつもの街の情景も、そこの景色の1要素としてあるただのゴミでさえも、微笑ましく、輝いて見える。
そんなこんなで色々考え倒していたら、すっかり電車を
乗り過ごしてしまいましたが、それさえ今は嬉しいです

電車を降りて見えた夕日が違いました。
いつもと同じ風景なのに。
きっとどんな世界の絶景よりも美しくて。
何倍も輝いて、地球に受け入れられる感覚で。
存在してていいんだよって。
空の表情さえも穏やかな気がして。
夕日を見た瞬間に鳥肌が立っていました。
自然と顔の筋肉さえが仕事を放棄し、気がついたら恍惚とした表情になっていて、気が付いたらそのまま30分 笑
本当に幸福感に包まれた時、笑顔になってしまう
人が笑顔を求めて生きるのは、本能的にそれを感じていたからなのかなと。

私の大好きな先生が、人は皆本能的、全て取り除いた時に最終的に残るものは愛で、愛という幸福を求めて生きていると教えてくれていましたが、いくら考えても、何冊本を読んでも、何度話を聞いても、私はその先生が言う感覚を理解する事が出来ませんでした。
でも、いちさんと過ごす上で、いちさんからの愛、私にある考え、感情、人間性に意思あれば放棄することなく寄り添う絶対的な愛情、そして、過ごす課程でいちさんから自己愛を育ててもらう、自分が広がっていく感覚、他者愛と、自己愛、両方を知り、幸福という感覚が何かを少し知る事ができたかもしれません。決してそれは言葉で説明することの出来ない感覚で、だから頭で理解する事は初めから無理だったのかもしれません。それを感じることの出来る能力を秘めている人間として生きている事を誇りに思いました。


今の感情を素直に表現することの大切さを知ったので文章にしましたが、これは「今」の感情であって、きっと次の瞬間には変化しています。それが良い方向か、悪い方向かも分かりません。長年重ねてきてしまった慣れに従ってまた明日ゼロからのスタートになってしまうかもしれないし、明日になったらいちさんへの信頼感ももしかしたら変わってしまうかもしれません。

まだまだ私の中の世界は極小で、知らない感覚がいっぱいあります。自分を見つめることも全然足りません。でも、少しずつでも足をとめずに進み続けることは忘れたくないと思っています。



今すぐ出来るかといえば時間はかかるし、というか人より数倍はかかると思うけど、でもそんな過程の自分も楽しみつつ、頑張ってみようと言う意思が今は持てています

これからも色々な感覚を教えていってください^^*



以上で終わりです。
下記はイチ視点でのあとがきのようなものになります。
前記事へのイチの考え方

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